福岡高等裁判所 昭和49年(う)633号 判決 1976年2月09日
主文
原判決を破棄する。
本件各被告事件を福岡地方裁判所に差し戻す。
理由
本件控訴の趣意は、検察官検事井上五郎が差し出した控訴趣意書ならびに控訴趣意書記載の一部訂正申立書と題する書面および弁護人福地祐一が差し出した控訴趣意書に記載されたとおりであるから、いずれもこれを引用し、これに対し次のとおり判断する。
一 事実誤認ならびに法令適用の誤
検察官の控訴趣意中事実誤認ならびに法令適用の誤りの主張は、要するに、原判決は、被告人小宮祥蔵に対し、清原信子ほか二名と犯意を共通にして兇器を準備して集合した事実を認めてはいるが、被告人有川満伸ら一〇数名の中核派所属の者との共同加害の目的の存在を否定し、かつ持兇器集団に属する構成員の範囲を縮少して認定したのは、証拠の取捨選択ならびにその価値判断を誤つた結果事実を誤認したものであり、また被告人有川満伸、同川上進、同小菅順子、同高木くに子、同讚井嘉樹に対し、同人らが兇器を準備した事実を認めながら、共同加害の目的の存在を立証する証明が不十分であるとし、さらに被告人有川満伸に対し、暴力行為等処罰に関する法律違反の公訴事実について、同被告人の所為は、革マル派所属の者らの急迫不正の侵害から自己の権利を防衛するため已むを得ざるに出た正当防衛行為であると認め、いずれも無罪を言い渡したのは、これまた証拠の取捨、選択ならびにその価値判断を誤つた結果事実を誤認し、ひいては法令の適用を誤り、有罪となるべき事実を無罪と判断したのであつて、右の違法は、判決に影響を及ぼすことが明らかであるので、原判決は、破棄を免れ難い、というのである。
ところで、本件各被告事件は、各被告人毎に公訴を提起されたものであるが、そのうち各被告人に対する兇器準備集合被告事件は、いずれも公訴事実を共通にするもので、各起訴状記載の公訴事実を総括すると、「被告人小宮祥蔵、同有川満伸、同川上進、同岩田こと小菅順子、同高木くに子、同讃井嘉樹は、いずれもいわゆる中核派に所属するものであるが、各自各相被告人を含む中核派のもの一〇数名と共謀のうえ、昭和四六年一二月一八日午後零時ころから同日午後一時二〇分ころまでの間、福岡市中央区天神二丁目五番四七号福岡県教育会館において、かねて対立関係にあつた革マル派などの生命身体に対して共同して害を加える目的をもつて、前記中核派の学生らとともに、多数の木刀、鍬の柄、ホツケーステイツク、鉄パイプなどを兇器として準備して集合した。」というのであり、被告人小宮祥蔵に対する暴力行為等処罰に関する法律違反の公訴事実は「被告人小宮祥蔵は、清原信子ほか数名と共謀のうえ、これらのものと共同して昭和四六年一二月一八日午後一時過ころ、福岡市中央区天神二丁目五番四七号所在の福岡県教育会館二階において所携の鉄パイプ等で学生風の男(年令二一年位、身長一六二、三センチメートル、長髪、黒つぽいコートを着用した男)の頭部、腰部などを乱打するなどの暴行を加え、もつて数人共同して暴行を加えた。」というのであり、
被告人有川満伸に対する暴力行為等処罰に関する法律違反の公訴事実は「被告人有川満伸は、いわゆる中核派に属するものであるが、同派の学生ら数名と共謀のうえ、これらのものと共同して、昭和四六年一二月一八日午後一時一五分ころ、福岡市中央区天神二丁目五番四七号所在の福岡県教育会館三階において、岩下宏正、上野俊英、谷川敬介および合田修二に対しこもごも所携の鉄パイプ等を用いて突くなどの暴行を加え、もつて数人共同して暴行を加えたものである。」というのである。
これらの各公訴事実について、原判決は、被告人小宮祥蔵に対し、前記兇器準備集合の公訴事実については、これを縮少した形で、判示第一の犯罪事実として「被告人小宮祥蔵は、その際同日午後一時一〇分前後ころ、同会館南側階段三階から二階に通ずる階段付近において、同被告人らに追われて逃げる右革マル派に属する者の一人である氏名不詳の男一名(年令二一、二年、身長一・六メートル位、やや長めに髪を伸ばした学生風、その際黒コート着用)を見るや、同様に右革マル派の者らを追つてその場に出て来た仲間の清原信子ほか二名(二名はいずれも、男性、氏名不詳)とともに、被告人らがそれぞれ手に握る木刀一本(昭和四九年押第五二号の二)および長さ四五・〇センチメートル位の鉄パイプ様の棒(原判決に長さ四、五〇センチメートルとあるは、四五・〇センチメートルの誤記と認める。)三本位を兇器として右革マル派に属する氏名不詳の男に対し共同してその生命、身体に危害を加える意を共通にし、その目的のもとにその場に集結し、もつて兇器を準備して集合した。」旨の事実を認定し、同被告人の暴力行為等処罰に関する法律違反の公訴事実については、判示第二の犯罪事実として、ほぼ前記公訴事実どおりの事実を認定したが、被告人小宮祥蔵を除く被告人有川満伸、同川上進、同小菅順子、同高木くに子、同讃井嘉樹の兇器準備集合の公訴事実については、同被告人らが木刀一本、ホツケーステイツク五本、鍬の柄四本を準備した事実を肯定しながらも、結局同被告人らにこれらのいわゆる兇器となりうる物を防衛目的以上の積極的な迎撃などに用いる意思すなわち共同加害の目的のあつたことが合理的な疑いを超えて証明されないので、犯罪の証明がないとし、また、被告人有川満伸の暴力行為等処罰に関する法律違反の公訴事実については結局、同被告人がバリケード越しに鉄パイプで相手方に突きかかつた行為については、これが正当防衛行為とならないことが合理的な疑いを超えて証明されないから、刑法三六条一項を適用して罪とならないものとして取り扱うほかはなく、犯罪の証明がないに帰するとして、いずれも無罪を言い渡したことは、まさに所論の指摘するとおりである。
そこで、記録ならびに原審において取り調べた証拠にもとづき検討することとする。
まず本件各被告事件(各公訴事実)の基礎をなす事実を概観すると、各被告人の原審公判廷における各供述、原審証人吉住幸太郎、同増田二郎、同永野益子、同小田守(二回)、同木村健司(二回)、同清原信子、同田辺文隆、同冝保安正、同島景子、同尾上和子の各供述、貝原種夫、桜木亘、石村恒男、木村勇夫の検察官に対する各供述調書、内野晃、冝保安正の検察官に対する各供述調書の謄本(但し冝保安正分は第五項および第六項のみ)、司法警察員中村益幸作成の福岡県教育会館における中核、革マルの内ゲバ事件現認報告書と題する書面、司法巡査籾井誓作成の現認報告書、司法警察員百田英二作成の現認報告書、司法巡査江崎修外一名共同作成の現行犯人逮捕手続書謄本、司法巡査川口九州男、同末永孝男各作成の各現行犯人逮捕手続書謄本、司法巡査木村健司、司法警察員米田穣二、司法巡査八尋茂忍、司法警察員中村益幸、司法巡査冨田一夫、同福島勇、同樋口八郎外一名の各作成にかかる各現行犯人逮捕手続書、司法警察員高村昭三作成の捜索差押調書、司法巡査岡本裕二、同久保茂文各作成の各写真報告書、司法巡査籾井誓、同松本和広、同福島勇各作成の各現場写真撮影報告書、司法警察員吉住幸太郎、同大久保勇共同作成の実況見分調書、原審の検証調書、押収にかかるホツケーステイツク五本(福岡地方裁判所昭和四九年押第五二号((福岡高等裁判所昭和五一年押第一号))符号一)、同木刀一本(同符号二)、同鍬の柄四本(同符号三、四)、同鉄棒一本(同符号五)、同鉄パイプ一六本(同符号六ないし二一)、同樫棒一本(同符号二二)、同足場用鉄パイプ一九本(同符号二三ないし二六)、同ヘルメツト二個(同符号二七、三三)、入場券一〇〇枚(同符号二八、三〇、三六)、同本一冊(同符号二九)、同戦旗一部(同符号三一)、同白布一枚(同符号三二)、同軍手半双(同符号三四)、同学生証一枚(同符号三五)、同マスク一個(同符号三七)、同手袋半双(左)(同符号三八)、同手袋半双(右)(同符号三九)、同タオル一本(同符号四〇)、同ビラ一枚(同符号四一)を総合すると次のごとき事実が認められる。
すなわち、被告人ら六名は、いずれもマルクス主義学生同盟中核派(以下中核派と称する。)に所属するものであるが、中核派においては、昭和四六年一二月を期して沖縄返還協定批准反対を標榜して政治集会を開くことを企画し、右集会においては、革マル派の糺弾も重要な目的として掲げていたこと、右企画実現について、被告人小宮祥蔵が主となつて会場借り受けの交渉、入場券、宣伝ビラ、ステツカー等の準備を担当し、会場の借り受けについては、過激派学生の集会という理由で各所から使用を断られたが、漸く福岡市中央区天神二丁目五番四七号所在の福岡県教育会館三階大ホールを借り受けるめどがつき、同月一七日に至つて、同会館事務局長貝原種夫との間に、同ホールを同月一八日午後二時から同六時まで借り受ける契約が成立したので、かねて準備しておいたステツカーを市内の各所に貼り、同月一七日および同月一八日の朝にかけて西鉄福岡駅前等で多数のビラを通行人に配つて、中核派所属の者ならびにその同調者以外の一般人の参加を呼びかけるとともに、入場券二〇〇数一〇枚位を売り捌いた。右ビラは、『永田典子、辻敏明、正田三郎虐殺糺弾、一二月復讐戦に起て!』という見出しで、その比較的長文の宣伝文には、『……――カクマル連合を復讐の鉄槌で殲滅せよ、一二月追撃戦の対決軸は……――カクマル連合である。同志辻敏明、正田三郎はカクマルの白色テロによつて虐殺された、いまでは……はカクマルを積極的に庇護・育成し一体となつて中核派を襲撃し一二月闘争を圧殺しようとしている。今や……――カクマル連合が敵となつた、我我は全ての力をカクマル殲滅戦に注ぎ、いざ!復讐へ!』等の文言が随所に見られ、『とき12月8日午後2時より、ところ教育会館(天神)、主催マルクス主義学生同盟、中核派』と印刷されていること、前記教育会館事務局長貝原種夫が、同月一八日朝出勤途上で前記ビラを配られ、その内容を見て当日開催予定の前記集会が中核派学生集団の政治集会と知つて大いに驚き、万一乱闘事件が発生する等大事に至ることをおそれて、同日午前一一時前ころ右教育会館内において被告人小宮に対し、絶対に変なことはしない旨を約束させたこと、同日午前一一時半過ぎころ、被告人有川満伸、同小宮祥蔵、同讃井嘉樹、同高木くに子ならびに清原信子らは、ほか二、三名の中核派所属の者とともに、集会に使用する永田典子の写真入り額一個、赤旗一七枚、用紙等のほか白ヘルメツト数個、木刀一本、ホツケーステイツク五本、鍬の柄四本、鉄パイプ約一〇本位を風呂敷や毛布等で包み目立たないようにして、これらを携え、同市西区曙町所在の前進社九州支社からタクシー二台に分乗して前記教育会館に赴き、途中間渕徳寿もこれに同乗して、同日正午過ぎころ右教育会館に到着して、既に一足先に右教育会館に到着していた被告人川上進と一緒になつたこと、右到着後間もないころ、その中の男一人が、右教育会館一階の受付け横の公衆電話を使つて福岡市内の竹屋等三か所位に竹の配達を注文したが、いずれも断られたこと、一階ロビーで少憩の後清原信子および間渕徳寿を見張り役として残し、被告人有川満伸、同小宮祥蔵、同川上進、同讚井嘉樹、同高木くに子らは他の中核派の者らと共に集会場に当てられていた同会館三階の大ホールに赴き、そのころ被告人小菅順子も市内電車を利用して来り、同会館に到着したこと、同会館事務局長貝原種夫は、被告人小宮祥蔵に前記のように約束をさせたものの、それだけではまだ大事に至りはしないかとの不安が去らないまま、同会館の職員永野益子に中核派学生の集会である旨を告げ、両名で同会館内にあつたプラツカード、棒、消火器、灯油缶、箒、塵取、アルミニユーム製の旗竿等凡そ兇器として使用されるおそれのある物を全て人の目に触れ難い場所に隠して片づけたこと。
同会館三階大ホールに到着した被告人有川満伸、同小宮祥蔵、同川上進、同讚井嘉樹、同高木くに子、同小菅順子ほか数名の中核派の者は、前記のように前進社九州支社から毛布等に包んで携えて来た木刀一本、ホツケーステツク五本、鍬の柄四本、鉄パイプ約一〇本位を同ホールの演壇の付近にむき出しにして置き、さらに集まつて来た中核派の学生冝保安正らも加わつて共に旗を立てたり、幕を張つたり、額を飾るなどして会場の準備を進めていたところ、同日午後一時一〇分ころ、前記のように同会館一階入口付近で見張りに立つていた清原信子、間渕徳寿の両名が、革マル派所属の者ないしその同調者一〇数名が同会館に押しかけて来たのを見つけ、急きよ南側階段伝いに駈け上り、三階大ホールに至つて被告人らに対し、大声で「革マルが来た」と知らせたので、被告人小宮祥蔵、清原信子、中核派の者数名、被告人有川満伸、同川上進、同讚井嘉樹らは、手に手に演壇の付近に置いてあつた木刀、ホツケーステツク、鉄パイプ等を握つて、同ホールの南側入口から階段伝いに、わーつと大声で喊声を上げながら駈け出で、そのころ既に二階から三階に通ずる南側階段付近まで迫つていた革マル派の者達に向つて行き、被告人小宮祥蔵、清原信子ほか中核派二名の者は同会館二階廊下において革マル派に属する氏名不詳の男一人に対し、各自手にしていた木刀、鉄パイプ等で同人の頭部、肩、腕等を滅多打ちして仮借のない攻撃を加えたが、遂に同人から逃げ去られ、被告人有川満伸、同川上進、同讚井嘉樹らは革マル派の者らを迫つて一階まで駈け降りて行つたが、これもまた同様革マル派の者らに逃げられたので、それ以上追うのをやめ、いずれも三階大ホールに引き返えしたこと、被告人小宮祥蔵、同有川満伸らが右のように革マル派の者らに向つて行つた後、三階大ホールに残つた冝保安正、被告人小菅順子ら中核派七、八名の者は各自ヘルメツトを覆り手に手に鉄パイプ等を持つて革マル派の襲来に備えていたこと、そのころ付近の薬局に薬を買いに出ていた被告人高木くに子は、同会館から転がるように出て来た革マル派の者らしい男が逃げ去つて行く姿を見て気がかりになり、急きよ同会館に引き返えし、被告人有川満伸らと相前後して、三階大ホールに戻つたこと、
右のように、一度は革マル派の来襲を撃退したものの、同派の者らが態勢を調えて再び襲撃して来ることは必至と考えた被告人らを始めその場に居た中核派の者全員は、冝保安正らの発意に従い三階大ホールの入口にバリケードを築くこととし、先ず南側入口扉の内側に、ホールに備え付けの長机や長椅子を運んで積み重ねているうち、早くも革マル派の者らが南側入口に押しかけて来たので、さらに長机や長椅子を積み重ねてバリケードを強化し、西側入口にもバリケードが必要と考えて各自自発的に二手に分れ、西側入口も扉を閉めてその内側に同じく長机や長椅子を積み重ねているうち、南側入口付近にまで迫つて来ていた革マル派の者が居らなくなり、替つて西側入口に革マル派の岩下宏正、上野俊英、谷川敬介、合田修二らが押しかけて来て、扉を破つたり、その片側を開いてバリケードの隙間等から鉄パイプを投げ込んだり、工事用の長さ二メートル余りの鉄棒を突き出したり投げ込んだりするので、被告人有川満伸らもバリケード越しに鉄パイプを投げたり、投げ込まれた工事用の鉄棒で突き返すなどして応戦しているとき、前記事務局長貝原種夫の電話通報によつて駈けつけた警察官によつて、まず革マル派の者らが逮捕され、次いで被告人らもその場で逮捕されるに至つたこと等の事実を認めることができる。
そこでまず原判決中兇器準備集合の公訴事実に関する無罪部分から検討すると、木刀一本、ホツケーステツク五本、鍬の柄四本については、被告人有川満伸、同小宮祥蔵、同讚井嘉樹、同高木くに子、清原信子らが前進社九州支社から携行して来て、前記教育会館三階大ホールに持ち込んだ事実は、原判決も認めているところであるが、鉄パイプ約一〇本位については、これを被告人らが準備したと認定するには合理的疑いが残るとして、その事実を否定している。しかし、冝保安正の検察官に対する供述調書の謄本(但し第五項第六項のみ)によれば、同人は教育会館三階大ホールにおいて、会場の準備に取りかかつた際、同所の演壇の傍にあつた約一〇本位の鉄パイプを見た旨ならびに清原信子が駈け上つて来て「革マルが来た」と大声で知らせたとき、大ホールに居た中核派の者らが右パイプを手に手に取り、冝保安正もその中の一本(長さ約六〇センチメートル位のもの)を手に取つて、応戦に備えていた旨を述べており、貝原種夫の検察官に対する供述調書、原審証人永野益子の供述によると、同会館二階の廊下で女性一人(清原信子)をまじえた被告人小宮祥蔵ら四人の者が一人の男を棒様の物で滅多打ちに殴りつけていたのを目撃し、その際鋭い金属性の音で触れ合う音がしていた旨ならびに永野益子は本件前日の夜三階大ホールを掃除し、箒以外に棒状の物は無かつた旨を述べているので、これらの証拠を総合すると被告人らは、木刀、ホツケーステツク五本、鍬の柄四本とともに鉄パイプ約一〇本位を右大ホールに持ち込んでいた事実を認め得るところである。もつとも原審証人冝保安正は検察官に対する供述とは異る供述をしているけれども、同人の検察官に対する供述はその内容が自然であり、かつ合理的であつて無理がないばかりでなく、原審証人永野益子の述べる前記の状況ともよく符合するもので信用度の高いものであり、これと異る原審証人冝保安正の供述は到底信を措くに足りるものとはいい難い。また押収にかかる前記鉄パイプ一六本、司法警察員吉住幸太郎、同大久保勇共同作成の実況見分調書(特に添付写真中記録七四三丁、七四五丁、七四六丁、七四七丁、七四九丁の各写真)、司法巡査岡元裕二作成の写真撮影報告書(特に記録五三五丁、五三七丁の写真)、司法巡査籾井誓作成の現場写真撮影報告書(特に記録五五五丁の写真)によると、本件発生直後現場から発見された鉄パイプのうち、教育会館三階大ホールの西側入口に近い三階から二階に通ずる西側階段付近、同大ホール内およびその外側のベランダから発見されたものはその数合計一〇数本に達しており、その発見時の状況、形状、および前記のごとく被告人有川満伸ら中核派の者らが、同ホール内部から西側入口に築いたバリケード越しに革マル派の岩下宏正らに対し鉄パイプを投げていることや、警察官が現場にかけつけた直後ころ、被告人ら中核派の者らが同ホール内にあつた鉄パイプ等を窓から外に投げ捨てた等の諸状況に照らして、右一六本の鉄パイプの中には被告人らが同大ホール内に持ち込んだものを含んでいることは確実に推測されるところであり、たとい革マル派所属の者らが携えて来た鉄パイプを若干含んでいるとして、また何れが何れとも区別し難い状況にあるとしても、右一六本の鉄パイプの存在は、冝保安正の検察官に対する前記の供述ならびに原審証人永野益子の前記の供述の真実性を担保するに十分というべく、被告人らが木刀一本、ホツケーステツク五本、鍬の柄四本のほか鉄パイプ約一〇本位も共に前記大ホールに持ち込んだ事実を認定する妨げとなるものではない、原判決はこの点採証の法則の適用を誤つたものというほかはない。
しかして、前記のように、被告人有川満伸、同小宮祥蔵、同高木くに子らによつて県教育会館三階大ホール内に持ち込まれた木刀一本、ホツケーステツク五本、鍬の柄四本、鉄パイプ約一〇本位は、同所の演壇付近にむき出しにして置いてあつたのであるから、これらは、同ホール内に集つた中核派所属の者一〇数名の者全員の目に当然触れていた筈であり、かつ清原信子、間渕徳寿の両名が「革マルが来た」と大声で注進に及んだ際、同ホール内に居た中核派の者全員悉く木刀か、ホツケーステツクか、鉄パイプか或は鍬の柄の何れかを手にしていたことが認められるので、これらを前進社九州支社から携えて来た者は勿論、これらの者を含む右大ホールに集つた中核派一〇数名の者は、遅くとも右のようにその何れかを手にする寸前の時期までに、これら木刀、ホツケーステツク、鍬の柄、鉄パイプ等が準備してあることを確知していたものと認め得るところである。
これらの木刀、ホツケーステツク、鍬の柄、鉄パイプは、いずれも用法如何によつては、十分に人を殺傷し得るものであることが明かであるから用法上、刑法二〇八条の二に定める兇器に該当する物であることはいうまでもない。
そこで、共同加害の目的の存否について考えると、
(一) 被告人ら中核派の者が前記政治集会の宣伝のために配布したビラに用いた文言は、革マル派に対し復讐、殲滅等敵対意識をむき出しにしたもので、極めて激烈かつ戦闘的であつたこと
(二) 被告人ら中核派の者が右のように準備した木刀、ホツケーステツク、鍬の柄、鉄パイプは、その用法の点からも数量の点からも、政治集会を開催するに必要な物とはいい難く、寧ろ極めて不つり合いの物であつて、政治集会開催に携行した合理的理由を見出し難いこと
(三) これら木刀、ホツケーステツク、鍬の柄、鉄パイプはいずれもむき出しにして演壇付近に置いてあり、その所在は一見して明かな状態であつたことが推測され、従つて、誰でも何時でも直ちに手に取り易い状態にしてあつたことが推断されること
(四) 清原信子らが「革マルが来た」と注進し、被告人小宮祥蔵、清原信子、被告人有川満伸、同川上進、同讚井嘉樹、そのほか中核派の者二名位は、手に手に鉄パイプ、木刀等を手にして、押しかけて来た革マル派の者らに向つて行き、被告人小宮祥蔵、清原信子ら四名は革マル派の者一人に対し鉄パイプ、木刀等で滅多打して仮借のない攻撃を加えており、被告人有川満伸、同川上進、同讚井嘉樹らは革マル派の者を取り逃してはいるが、これを追いかけており、またその際ホール内に残つた冝保安正を始め被告人小菅順子、その他の中核派の者はいずれも各自ヘルメツトをかぶり、手に手に鉄パイプ等を持つて革マル派への応戦に備えて会場を守つたのであつて、その際各人の採つた行動は大別して右のごとく三群にまとめることができるが、これら三群の行動は各個ばらばらのものではなく、その後のバリケード構築等の状況をも加えて、中核派の政治集会を破砕しようとして来襲する革マル派の攻撃に対処する措置として観察すると、被告人小宮祥蔵ら一群の行動も、被告人有川満伸ら一群の行動も、冝保安正、被告人小菅順子ら一群の行動も、共に相互に有機的に連繋した合目的的な行動であつて、しかも迅速かつ機敏に状況の推移に対応して対処したものであり、斉々と統一のとれた行動であつて、各人について、共通の目的によつて統一された意思とともに激しい攻撃意図を窺知することができること、この点に関し、原判決が被告人小宮祥蔵、清原信子ら四名の者が、革マル派の者一人の男に対してなした加害行為を、その他の被告人および中核派の者とは直接かかわりのない事実として判断しているのは、ことの真相を見誤つたものというほかはない。
(五) 三階大ホールの出入口の扉の内側にバリケードを構築したことは、一見して極めて消極的で守勢に終始したかの如き観を与えるけれども、その状況を子細に観察すると、右大ホールは三階の殆んど全部に近い部分を占めており、その広さや、外部から窓を通じて大ホールに出入りすることは容易になし難い状況にあり、その他は、堅固な壁の部分と僅かに南側と西側の二か所の出入口があるだけで、この出入口を塞げば外部からは容易にホール内に侵入し得ないことは、何人も容易に察知し得るところであつて、かつホール内には、多数の長机や長椅子が備えつけてあり、これらの状況から観れば、バリケードを築いて一応守勢の態勢を採るのが得策であつたことが誰の目にも明かに観取されるところであつて、たといバリケードを築いて守勢に回つたとしても、何時でもバリケードの片隅を開いて一挙に外部に撃つて出ることは比較的容易になし得たものというべく、バリケードを築いてホール内に立て籠もつていたからといつて、必ずしも防衛に終始していたとは断定し難いこと
以上(一)ないし(五)に列挙した諸情況事実を総合すると、県教育会館三階大ホールに集つた被告人ら中核派一〇数名の者は、いずれも前叙のごとく、政治集会の開催準備に従事していたことは明かであるが、それとともに革マル派が来襲すれば、かねて用意してあつた木刀、ホツケーステツク、鍬の柄、鉄パイプ等を取つて、直ちに共同して敢然とこれに立ち向い迎襲する意図を共通にしていたものというべく、来襲する革マル派の者の身体に対し共同して害を加うべき、いわゆる共同加害の目的を有し、かつその目的のもとに同ホールに集合していた事実を認めることができるところであつて、当審における事実取り調べの結果を参照してもこの認定を覆し得る証拠はない。
しかるときは、被告人らに対する兇器準備集合の公訴事実は、原審の取り調べた全証拠によつても早や合理的疑いのないまでに確実に証明されていたものというべく、犯罪の成立を肯定しなければならないのに、被告人小宮祥蔵を除くその余の被告人らに対し犯罪の証明がないとして無罪を言い渡した原判決には、明かに判決に影響を及ぼすべき事実誤認の違法があるものといわねばならない。
また被告人小宮祥蔵関係においても、他の相被告人と同様、相被告人らを含むその他の中核派の者ら一〇数名とともに、革マル派の者が襲撃して来たときは、共同して、その身体に対し害を加える目的をもつて、木刀一本、ホツケーステツク五本、鉄パイプ約一〇本位を兇器として準備して、県教育会館三階大ホールに集合した事実を認め得るところであり、原判決が、これと異り、行為の時点を異にし、共犯者の範囲を縮少して、犯罪事実を認定したのは、事実を誤認したものというほかはなく、右違法は明かに判決に影響を及ぼすものといわねばならない。
次に、被告人有川満伸に対する暴力行為等処罰に関する法律違反の公訴事実に関する無罪部分について検討を進めると、前記認定のように、本件当日午後一時一五分ころ、革マル派所属の岩下宏正、上野俊英、谷川敬介、合田修二らが、前記県教育会館三階大ホールの西側出入口付近から、ホール内に居た被告人有川満伸ら中核派所属の者に対し鉄パイプを投げ込み、工事用鉄棒を突き出すなどして攻撃を加えて政治集会を破砕しようとした行為(これを第二の攻撃として、これに先行する南側階段伝いに右ホール内に攻撃をかけようとした第一の襲来と区別することとする。)が、被告人らが開催しようとする集会の権利に対する不正の侵害に当ることはいうまでもない。しかし、被告人有川満伸ら中核派の者らが、共同してこれら岩下宏正、上野俊英、谷川敬介、合田修二らと対戦した行為が、原判決の判示するように果して正当防衛に該当するか否かは慎重な検討を要するところである。
前記兇器準備集合の公訴事実に関し既に詳細に検討したところから明かなように、被告人有川満伸については、他の相被告人らならびにその他の中核派の者らと同様に、革マル派の者が中核派主催の政治集会を妨害しようとして来襲すれば、共同してこれを迎撃し、その身体に対し害を加えるべき積極的闘争加害の意図をもつて兇器を準備し、前記県教育会館三階大ホールに結集していたのであり、革マル派の者の第一の襲来に対し、被告人ら中核派の者は全員周章狼狽することもなく、各自直ちに木刀、鉄パイプ等を手に取り、一部の者はホール内に留まつて会場を守り革マル派との応戦に備えたが、被告人小宮祥蔵らと被告人有川満伸らは二群に分れて革マル派の者らに立ち向い、被告人小宮祥蔵、清原信子らは、革マル派一名に所携の木刀、鉄パイプ等を振つてその頭部、腕等を滅多打して仮借のない攻撃を加え、被告人有川満伸らは革マル派の者らを一階まで追いかけて居り、これらの行為は、明かにかねて予期していた攻撃、加害の意図の具体的顕現と見得るところであつて、偶発的なものと見ることはできない。
右のように、革マル派の者らの第一の来襲に対処した直後、被告人ら中核派の者は全員協力して三階大ホールの南側出入口および西側出入口の各内側にバリケードを構築しているが、これは明かに革マル派の再度の来襲を意識した行動であつて、前記のように、革マル派の第一の来襲に際しても、被告人ら中核派の者は全員周章狼狽するところがなく、かねて革マル派の来襲を予期していた態度とも併せて、考察し、かつ前記のような共同加害の意図の存在することにかんがみるとき、革マル派の第二の攻撃は、被告人らが当然に予想していたものといわねばならない。
しかもバリケードの構築については、被告人らは政治集会の開催を控えていたのであり、県教育会館の建物の全体的構造や、三階大ホールの占めている位置、その広さ、窓、壁、出入口等の構造の状態から、守るに易く、攻めるに難い地の利に着目するとき、バリケードを築いて一応守勢に回るのが得策と考え得るところであつて、しかしたとい守勢に回つたとしても、何時でもバリケードの一端(片隅)を開いて一挙に撃つて出で、攻勢に転ずることは比較的容易になし得るところであるから、被告人らがかかる状況判断に疎い筈はなく、また地の利を利するに吝かである筈もないので、被告人らがバリケードを築いて、応戦していた事態から、防衛目的に終始していたと判断するのは、早計のそしりを免れ難いところといわねばならない。蓋し、被告人らは政治集会を開催する企図の裏には、前記ビラに用いている文言が示すように革マル派に対する並並ならぬ敵がい(愾)心に燃えていたのであり、政治集会には凡そ不つり合いな木刀、ホツケーステツク、鍬の柄、鉄パイプ等を会場に予定された場所に持ち込んで居り、革マル派が来襲すれば直ちにこれらの物を手にして、一部の者は革マル派の者に立ち向い、残部の者は武装して会場を守り、会場が立て籠るに有利と見るや、これにバリケードを築いて守勢に転じ、革マル派の第二の攻撃に対しては、ホールの内部から応戦し、或は鉄パイプを投げ、或は投げ込まれた工事用鉄の棒で突き返すなど、これら一連の行動は相互に連関、牽連しているのであつて、これを各別に切り離して観察することを許さないものである。しかも原審証人木村健司の供述によれば、相被告人川上進は、駈けつけた警察官木村健司に対し、もし再び革マル派が攻めて来れば自分達は武器を持つて戦うんだと言明しており、これは、当時三階ホール内に居た中核派の者全員に共通する意気込み、意図を語つたものといい得るところであつて、もとより被告人有川満伸もその例外ではなく、以上の諸点を総合すると、被告人らに積極的攻撃ないし加害の意思はなく、専ら防衛意思のみであつたとは、到底認め難いところであつて、寧ろ、明白に積極的攻撃、闘争、加害の意図を肯認し得るところであり、かつ、革マル派の第二の攻撃は被告人らが当然に予想していたところであつて、不正の侵害であつても、急迫性はなかつたものといわねばならない。原審において取り調べた証拠によつては勿論、当審における事実取り調べの結果を参照しても右認定を覆し得る証拠はない。
しかるときは、被告人有川満伸らが、革マル派の岩下宏正、上野俊英、谷川敬介および合田修二らの攻撃に対し、鉄パイプを投げ、工事用鉄パイプで突き返す等の攻撃行為について、社会的相当性すなわち已むを得ざるに出でた行為であるか否かを論ずる余地はなく、正当防衛の成立を否定するのが相当というべく、右行為は、数人共同して他人に暴行を加えた場合に当るので、暴力行為等処罰に関する法律一条の罪が成立することは否定し得ないところといわねばならない。
しかるときは、原判決が、被告人有川満伸の右行為について、証拠上正当防衛行為とならないことが合理的な疑いを超えて証明されないから、刑法三六条一項を適用して罪とならないものとして取り扱うほかはなく、結局、犯罪の証明がないに帰するとして、無罪を言い渡したのは、採証の法則を誤つた結果事実を誤認し、ひいては法令の適用をも誤つたものというべく、右誤りは判決に影響を及ぼすことが明かといわねばならない。
所論はいずれも理由がある。
二 法令の適用の誤り、
弁護人の控訴趣意中法令の適用の誤りの主張は、要するに、原判決が被告人小宮祥蔵関係において、判示第一の兇器準備集合の罪と、暴力行為等処罰に関する法律違反の罪とを併合罪の関係にあるとして、併合罪の加重をして処断したのは、牽連犯であるべきものを併合罪として処断したもので、明かに判決に影響を及ぼすべき法令適用の誤りがあるものというべく、破棄を免れ難い、というのである。
しかし、前叙のように、被告人小宮祥蔵関係においても、原判決の兇器準備集合の事実認定には、事実の誤認があつて、原判決は破棄を免れ難いところであるから、罪数については、新たに認定されるべき犯罪事実を基にして、新たな観点から論定されるのが至当と考えられるので、この点の判断は省略することとする。
三 量刑不当
検察官の控訴趣意中量刑不当の論旨は要するに、被告人小宮祥蔵に対する原判決の刑の量定は軽きに失し不当であるというのであり、弁護人福地祐一の控訴趣意中量刑不当の論旨は要するに、被告人小宮祥蔵に対する原判決の刑の量定は重きに過ぎ不当であるので、破棄を免れ難い、というのである。
しかし、同被告人に対する原判決は事実誤認により破棄を免れ難いところであるから、刑の量定は新たな観点からなされるべきこととなるので、この点に関する判断も省略することとする。
よつて、刑訴法三九七条一項、三八二条、三八〇条により原判決を破棄し、同法四〇〇条本文の規定に従い本件各被告事件を原裁判所である福岡地方裁判所に差し戻すこととして、主文のように判決する。